学生の頃からノートをとるのが苦手だった。授業中にノートをとらず、先生に叱られたこともあった。それでもノートはしなかった。
別に勉強に無関心だったわけでは無い。成績も特別悪くは無い、テストではそこそこの点数を取っていた。
大人になってからもノートをとることは苦手。有効にノートを活用できた試しが無い。手帳も持っていない。
ノートが取れる人、手帳にメモができる人は純粋に羨ましい。でも、自分にはできない。その理由を書いてみようと思う。
「書く」は単純作業になってしまう
ボールペンなり鉛筆なりを持って文字を書く。このとき私の中では「書き写す」ことが目的となってしまう。黒板に書いてあることを写す、上司の指示を写す。コピー機になるのだ。
写している間は何も考えることができない。書き写しているものが正しいかどうか、どんな意図があるのか、考えることなく単純にコピー。
だから、書くことで記憶はされない。
学校の授業ならノートに写すより、黒板に文字を書いている先生を見ている方が記憶に残る。先生と黒板をジーッと見て、タッタッタッというチョークのリズムを聴いているほうが良い。
「メモは後で見返すために書く」というが、経験上では髪に書いたメモが役に立った試しはない。
※IDなどの単純な数字の羅列だったらメモは除く。
目で見る、耳で聞くほうが好き
就職活動中、「メモを取れ!取ることが無くてとメモしている振りをせよ!」という有難い教えを頂いたことがある。おかげでノートを見ずに何かを書けるようになった。何を書いたのか後からは判別できないが。
個人的には必死にノートを取る人よりも、必死に見て必死に聞いている人の方が好感度が高い。必死、はちょっと違うか。フワッとした余裕を持って聞く人、という感じ。
だから私のノートはほとんど取らないし、ノートを取ることにメリットはあまり感じていない。感じることができない。聞くこと、見ることを重視している。
作家・評論家の中には、筆を持って手で書くことで思考が整理され新しいアイデアが生まれる、という主張をする方もいる。だけど、これは人によるだろう。
私は筆を持って書くことで思考が停止することを実感している。
書くことで覚える人、見ることで覚える人、聞くとこで覚える人
個人差、といえばそれで話が終わるのだか、もうちょっと続ける。
ノートを取ることで記憶が定着する人もいるのだろう。おそらくこういう人は、書きながら物事を考えられる人なんだと思う。黒板を書き写しながら「アレっ?間違ってない??」とか「ココってこう書いたほうが良いんじゃない?」とか考えているのだろう、と。
私の場合、手を動かしている間はほとんど思考停止している。上手く考えることができない。見ながら、聞きながらならば考えることができるが。
- 書きながら考える人
- 見ながら考える人
- 聞きながら考える人
私は2と3が強く出ていて、1が足りてない、ということになる。みなさんはどうだろうか。
自分の特性に合わせて
月並みだが「自分の特性を理解して、それに合わせた行動をとる」ということが最適である。
不思議なことに、パソコンのキーボードを叩きながらなら、考えることができる。パソコンのディスプレイに現れる文字を見ながら考えることができるのだ。このとき、指先と思考が切り離されている感覚になる。
スマートフォンでのフリック入力も同様だ。この文章は全てスマートフォンで書いている。
必死にスマートフォンでフリック入力をしている姿は異様だが、フリック入力をしている間はそれを考えることはできない。
あれ、フリック入力中も思考停止しているじゃないか。