みんなと同じように電車に乗って会社に向かっています、ジミーです。
先日、妻に「出会ったことのない変人」だという称号を貰いました。ありがとうございます。先日から急に変人になったわけではなく、それ以前からずっと変人だったそうです、妻の中では。
んで、「変人」だと言われた私は嬉しくて嬉しくて、この記事を書き始めました。
変人、ひゃっほー!
変人って言うと誰を思い浮かべますか?私が真っ先に浮かんだのはアインシュタイン。おー、妻の中では「私はアインシュタインと並んでいる」ということですな。
名誉なことでして。
「変人」って評価を受けるのって嬉しくないですか?特に私のような特徴のない一般人にとって。違うのかな。否定的な意味で捉えます?
私は純粋に「ひゃっほー!」的な気分になります。
変人なら何でも許されるな
これからはどんな奇怪な行動をとっても、「変人だからしょーがない」と思っていただけるということで。
変人ってエクスキューズになるんです。勇気がもらえる。自信が付く。何でも出来そうな気がする。
という話を妻にしたら、すげー怒られました。そしてすげー飽きられました。
よっぽど変人との出会いが少なかったんだな…
私ごときが変人だと感じるということは、それまでよほど"普通"の中で暮らしてきたんだろうなぁ、という印象。今まで変人と呼ばれるやうな人に出会ってこなかったのかな。
結構いると思うんですよ、変人。私は自分が普通過ぎる性格が詰まらないと感じる時があるし、もっと飛び抜けた存在でありたいと思う時があります。普通な自分、残念。
というか普通の人って何?
自分で書いておきながら、普通ってのは何なのかよく分からなくなりました。一般的?一般的って何?一般人って何?
みんな変人じゃね?
というか「どんな人でも変人に見えませんか?」というのが私の意見。普通の人に会ったことがない。
みんな違う。誰1人として同じ人間はいない。
普通っていう概念は存在するけど、その人個人を見たら、それは「普通」ではなくて「個人」と感じる。
普通って概念的というか学問的というか、一個人に当てはまるモノじゃない。だから、「普通だ」とか「変だ」というレッテルを個人に貼るのは間違っていると思うのだ。
まとめ:こんな話じゃない
と、ここまでの話を妻にしたら、「違う、そういう話じゃない」と一蹴されました。「普通の人になって」。この妻の要求がまだ理解できていない私です。。。